野浦のご紹介
9月17日に放鳥が予定されている野浦についてご紹介します。

はじめに
野浦は両津港から車で約30分、佐渡の南東部、前浜海岸に位置します。2019年10月に放鳥が行われた片野尾とは約3kmの距離、同じ旧両津市にあたります。

令和3年8月現在で36世帯、87人が暮らしている野浦は、家の前には海が広がり、背後には標高600メートルの山が盾となり北風から守ってくれるので、冬でも比較的穏やかな気候です。海では魚、海藻、貝など海の幸、山では美味しい棚田米や山菜など里の幸がとれる、半農半漁の営みが続けられています。

トキとのかかわり
1971年に前浜でトキの営巣が確認され、両津市とき愛護会が発足しました。片野尾、月布施、野浦、立間、赤玉など前浜の集落の人たちが、トキの生息調査やトキ給餌田へのドジョウ運び、無農薬の米作りなどに取り組みました。野浦ではトキが好んで餌場にしていた田んぼで無農薬栽培をすることが決まりました。当時既に雑草の除草剤として農薬の使用が一般的で、それを使わないと人力で草取りをしなければ稲が雑草に負けてしまいます。そこで、重労働とも言える数回の草取り作業を野浦婦人学級の皆さんが買って出ました。
マムシにびっくり
野浦婦人学級は代々野浦の若奥さんたちで結成されていました。1972年から74年までの3年間、標高約400メートルの苦木平(にがきたいら)と呼ばれる場所に広がる30アール(900坪)ほどの棚田で、約20名の会員が腰をかがめて素手で雑草の抜き取り作業を行いました。当時を振り返った記念誌には「田んぼの中で体長50センチほどのマムシを見つけて仰天。マムシを退治してほっとしたときに、誰かが『トキも大事だが命も大事』と言ったので一同大笑いした」という逸話が載っています。

全鳥捕獲と野生復帰
懸命の保護活動にもかかわらずトキの繁殖は途絶え、1981年に飼育下での繁殖に望みをかけて最後の5羽は捕獲され、トキ保護センターのケージに入りました。野生のトキは一時日本の空から消えました。その後、約20年が経ち、飼育下のトキが順調に数を増やしていく中で、トキの野生復帰を見据えた取り組みが島内でスタートしました。野浦では2000年頃からトキのための取り組みが始まり、減農薬の米づくり、トキの餌場となるビオトープづくりなどが行われました。これは、かつてトキ保護を行った地であるという誇りと共に、トキをシンボルに地域を盛り上げて集落の衰退を食い止めたいという切実な願いがありました。

現在の野浦
野浦や前浜地域のお米は、パルシステムやコープクルコの会員の皆様など環境に配慮したお米を求める消費者の方々に購入していただいています。これは、低農薬の安心安全だけでなく、お米を食べることでトキを守ることになるという思いが消費者に伝わっているからです。

トキがいたから野浦の農家さんと都市部の消費者の方たちは繋がることができました。それでも、高齢になり後継者がいない農家は米を作ってくれる人に田んぼを預けるようになっています。その受け皿となっているのが「株式会社野浦情報局」という農業法人です。
野浦情報局代表者の臼杵秀昭さんです。

ちょうど田んぼから帰る時にばったりお会いしました。そして、ここは野浦大神宮。何を隠そう臼杵さんはこの神社の神主さん、手に持っているのはお守りです。(これについては後ほど「朱鷺神社」で紹介します)
臼杵さんは、この日息子さんと一緒に稲刈りをしていたそうです。お勤めしている息子さんは休みの日には一緒に農作業をやってくれます。ただ、将来自分が作業できなくなった時には会社もおしまいかなと臼杵さんは言います。
バイタリティーと遊び心にあふれた臼杵さん。楽しくお話させていただきました。また、以前おじゃました時は野浦集落のおばあちゃんたちにも温かく迎えていただいた思い出があります。そんな野浦がこれからも活気あふれる集落でありますようにと願っています。
トキの野生復帰支援活動がスタートしてから約20年。次の世代に繋ぐ道を模索しているのは野浦だけではありません。